KUNI 復活~その2!LOUD PARK出演決定!
6月 5th, 2010KUNIのマスク伝説~復活は埼玉スーパーアリーナで行なわれるラウドパーク2010に出演からで決定!本日情報解禁!
KUNIオフィシャルホームページwww.tearsmusic.jpでもKUNIのニュースを確認できます。
十代の頃から友人。MASK伝説〜復活〜KUNI[ その一]
5月 21st, 2010先日、久しぶりにKUNIと一緒だった。彼はL.Aを拠点としてポリドールから全世界に発信された日本人アーティストである。ミスタービッグやスローター、オジーオズボーン、KISS,先日癌で亡くなったロニージェームスディオも普通にKUNIの仲間であった。
彼に1番始めに関係を持った仕事は僕がプロデュースしたオリジナルギターを製作したことで、このギターはしばらくしてハードロックカフェ六本木に寄贈された。
二十年前にKUNIに紹介されたアーティストがなんと一緒にライブを行ったロニー・ジェームス・ディオとジェームス・ブラウン。 僕はロニー・ジェームス・ディオはよく知っていたのだけど、若い時だったからジェームス・ブラウンさんの凄さが今一つ理解出来なかった。
そんな大物アーティストとバックステージやホテルで馬鹿騒ぎと言うか対等に会話しながら楽しんでいるKUNIは不思議なパワーを持った男だった。 その後、彼はワーナーブラザースの洋楽担当者となり、その後ビーイングに在籍。 自分のレーベルを立ち上げた。
そして著名な作詞、作曲家の奥様と結婚している。 彼はB’zと深い交流を持ち、世界進出やバックメンバーのクオリティー構成に一石を投じた。 KUNIのレコーディングにB’z松本氏が参加している。 その後は続きで。
藤本泰司君とKENZI君
5月 15th, 2010藤本泰司君。今日で十年やってきたDPSを終わりに。 長い付き合いになったね。
僕がDancerという初期にやっていたバンドに出会い、そして感動して、彼にギターを作ってあげた。 そんなきっかけから長い間やり取りしていて今日に繋がってる。
二人ともずっと大切にしたいミュージシャンであり、友人である。
前日、KENZI(僕はずっとケンチャンなんだけれど・・・)が藤本君のメールアドレスを教えてくれて、アドレスコピーしてメールしても繋がらない。もう一度ケンチャンにアドレスを送ってもらったけれど、やっぱり行かなかった。
藤本君に直接聞きながら、再度送ることにした。ケンチャンは「間違っている訳無いよ!」と言うので3人で確認したら「ー」1文字多かった。「ケンチャン頼むよ~・・・なんてね」あはは。
なんか皆、小さい文字が見えづらくなっていて【年を少しとったね~】なんて笑ってしまった。
これからも音楽の周りで皆で関わり合い、寄り合いながらやっていきましょう。
スティル・アライヴのBASHI(Ds)が亡くなったと言う知らせ。
5月 13th, 2010私と同じ年という若さを思うと悔しさばかりがつのりますが、どうかご遺族の皆様もお気持ちを強く持って、お力をお落としになりませんよう、ご自愛下さいませ。
ご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げますと共に、故人の御冥福をお祈りしたいと存じます。
僕がライブハウスを始めて1番最初にマネージメントを行なったバンドは幾つかあるのだけど、shandy,Nasty Habits,そしてStill Aliveの3バンド。
その後、他に夜叉、frenzy,shapes of thingsなどリリースしたり、幅広かった。
1990年。僕にとってメジャーのレコード会社と会社として契約させていただいたのがこのStill Aliveで一番熱心なテイチクレコードさんと契約した。
他にヤマハ財団の和田さんと言う方も色々とお手伝いしてくれた。ギター、ベース、そしてバシが使ったヤマハのドラムセットを提供していただいた。
LIVEを行なう為、日本中をハイエースで駆け抜け、僕は運転手とマネージャー兼社長で廻っていた。韓国にLIVEしに行ったり、アメリカのウイスキーで定期ライブもやったりした。
ディープパープル・リッチーブラックモアと共演できたのもこのバンドだった。
バシ。ドラム。元サブラベルズ。そしてstill Alive.
とてもいい男だった。日本のコージーパウエルと言われていた。
我慢強く、物静かで、冷静沈着な人間性も見習うところが沢山あった男だった。
僕が23歳の頃、社長になって、同じ年でアーティストをやってくれた。
いつも一緒に居た仲間である。北海道から九州まで、色々な思い出があるのだ。今からでも何か出来ること、探さなくては。
何人か新人のアーティストやバンドに出会っている最近だったが、あの【バシ】と駆け抜けて頑張っていた原点を思い出す。
昔の仲間でここを見てくれたら連絡欲しいです。
ご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げますと共に、故人のご冥福をお祈りしたいと存じます。
[アルバム]
SAY NO MORE
発売日 : 1992/02/24
このアルバムはキングレコードに移籍して作ったもの。
- [アルバム]
NO REASON TO PRAY
発売日 : 1992/01/22 - このアルバムは神奈川県横須賀の観音崎マリンスタジオで収録。ディレクターの森田とか三戸は今何してるのかな?緊急事態だ!集まれ!。
- マークフェラーリとかトミーセイヤー(KISSのギタリストで実質KISSマネジメントの社長)が曲を書いてくれて、一緒にステージでPLAYしたのである。
- [アルバム]
ダイナミクス
発売日 : 1991/05/21 - このアルバムジャケットはピックガードで作った。バシはこの作品が気に入っていると言っていたね。この頃、本当に毎日一緒だった。タカは何をやっているのだろう・・・。韓国公演でライブ終わりでメンバーで飲みに行き、朝まで飲みすぎてシゲが飛行機に乗り遅れたらバシは別にいいよって言っていた。冷静で恐い男だったな。
- [アルバム]
BREAKING EVERYTHING
発売日 : 1990/10/21 - デビューアルバム。この作品で初めてPVを撮影。メジャーって凄いなぁ・・・と感激。バシはヤマハと契約することが出来て、ドラムセットやスティック、シンバルも頂いた。
- このアルバムも観音崎のマリンスタジオ。バシとタカ、ソウゴは僕と見にゴルフや浜辺で遊んでいるが、シゲはスタジオで音作りに集中させていたりして。面白かったね。
スパイダーズの加藤充さんとタマちゃん。
5月 7th, 2010瞬介君のお別れ会。
5月 5th, 2010瞬介君。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。。
3月 31st, 2010余りに突然な訃報にただただ唖然として、何も手がつきませんでした。
僕の周りには瞬介君がリーダーのエルドラードで一緒に仕事や関わりを持った人が沢山います。 みんな突然な訃報にとても驚き入りました。
瞬介君が参加してくれていた、ホリデーblogをみました。
元気なコメントを見せてくれていただけに、とても残念です。
今の私にはどんなお悔やみの言葉が適当か見当たりません。
御家族皆様のご悲嘆の程、深くお察し申し上げ、ご生前のご厚情に心から感謝を捧げます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
本日 日刊スポーツ
3月 15th, 2010今日は取材で日刊スポーツ本社に行きました。 ギネスブック2010 (英語版ヤンゲスト・プロフェッショナルギタリスト) で載っている宮澤佑門君が代表で。 ランディーローズイベントのインタビュー取材です。
今日の日刊スポーツを見てください!
記事URLhttp://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100315-606207.html